ラジオを通して、主イエスのご訪問を受けて

 「ラジオを通して、主イエスのご訪問を受けて」

「キリストへの時間」協力委員 
日本キリスト改革派四日市教会牧師 
長谷川 潤

『見よ、私は戸口に立って扉を叩いている。もし誰かが、私の声を聞いて扉を開くならば、私は中に入って、その人と共に食事をし、彼もまた私と共に食事をするであろう』( 黙 3:20, 協会共同訳 )。  

「ふぞろいの林檎たち」、「青が散る」など青春テレビドラマを放映していた 1983 年、私もその登場人物たちのように青春真っ只中でしたが、無理が祟ってドクターから入院を宣告されてしまいました。人生の土台がぐらつき、目の前が真っ暗になった時はそれまでありませんでした。この辺りのことは、昨年 10 月の 70 周年記念放送にて証しさせていただきました ( 会報第 79 号に掲載 )。しかし、主の道に備えあり!今から振り返ると、主イエスは、こんな罪深い私をご訪問下さるために、あの時を備えて下さったのでした。  

当時、テレビやラジオというメディアでは、早朝に宗教番組が多く提供されていました。キリスト教系ばかりではありません。仏教系、神道系 etc です。今現在は、CBC( 中部日本放送 ) ですと、毎週日曜日午前 6 時 30 分からの当番組と、その後の 15 分枠ぐらいが、いわゆる宗教番組なのでしょうか。それに比べ、80 年代は、結構、毎朝、いろんな宗教の番組が提供されていたのです。人生がぐらついた時、私が選択したのは、やはり、宗教に頼ることでした。家の宗教が仏教だったために、正直、一度は仏教に帰依して、日本人なので、先祖の霊に頼ろうとした時もありました ( 当時、俳優・丹波哲郎氏の大霊界も流行 )。しかし、幼い頃から憧れだったキリスト教も捨てがたかったのです。多様な宗教番組を視聴する中で、私の心の扉に迫って来たのは、やはり、キリスト教系の番組が提供している主イエス・キリストという御方でした。今から思うと、もし、私が中部圏に住んでいたら、番組開始から 70 年以上もミニ礼拝形式を貫く「キリストへの時間」を恐らく聴いていたことでしょうから、もっとダイレクトに、主イエスは私の心の扉を叩いて下さったに違いありません。関東地方在住の私は、キリスト教の中でも、カトリック教会や福音派系の番組、そして特にルーテル教会の番組を通して諸教派を巡り、結局、改革派教会に落ち着いて所属教会にて洗礼を受けたのが、 1984 年 6 月 10 日ペンテコステでした。  

そういうわけで、主イエスが私をお訪ね下さったのは、メディアの中でも特にラジオと言えましょう。ラジオ電波によって提供される福音を通して、主イエスは私の心の奥深く、魂までご訪問下さり、扉を叩いて下さいました。そして、私は扉を開けたのですが、もちろん、金庫のように頑丈、罪によってピタリと閉じられてしまっている扉を開けて下さったのは、聖霊なる神に他なりません。ハレルヤ!と御名を崇めます。  

受洗して数年で神戸改革派神学校に進み、1993 年卒業後、牧師・説教者となりました。ラジオを通して提供された福音によって救われた者として召しを感じ、関西圏で働いていた頃は所属中会提供の「キリストへの時間」で奉仕させていただき、2005 年、中部圏に移ってからは当協力委員会にて奉仕をさせていただいております。昔も今も願いは変わりません。当番組を通じて、今は、ラジオばかりでなくインターネットを通じても、主イエスがダイレクトに聴取者の魂の扉を叩いて下さることです。そのためにも、私自身、ラジオ説教の修練にいよいよ心と力を尽くしたいと願っております。お祈りとご支援、引き続きよろしくお願い申し上げます。